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■ 判断の前の考察とは・・・
一般に、西洋占星術においての「判断の前の考察」というのは、そのチャートが判断に耐えられるものなのか、一体全体、読み出しても構わないのかどうかを判断するものだと捉えられがちです。これは、鑑定の前の考察であり、判断の前の考察と、そうとばかり言い換えられません。
判断の前の考察は、日々の鑑定だけではなく、鑑定における心構えも指しているものです。英語のウェブサイトを見てもそういったような事を書かれています。 The Considerations Before Judgement はもっと広範囲に考察されても良いものであり、西洋占星術が長い間すたれずに続いて行くにはどうしておけば良いのか、といったことにまでに範囲が及ぶものです。ストレートに、西洋占星術っていったい何? という所にまで考察を及ばせるものです。
惑星のロープ理論が去ったその後に、占星術の依り所として、ヨーロッパや米国の鑑定家の多くが唯識論、あるいは垂示思想と呼ばれるものを想定しています。
唯識論というのは、この世に現れ出てくる全ての事柄は心の表れであると捉える考え方です。諸現象は唯心の象現であるという言い方もされます。この概念は仏教だけではなく、アリストテレスやキリスト教の考え方の中にもあり、現代でも有名な、引き寄せの法則などもこの中に入ります。
旧訳聖書のエレミヤ書(17-09)には、
「心は他の荷物(にもの)にも勝って不実であり、必死になる」
と書かれています。人は自分の周りに起こり来ることが自分の心に源を持っているにも拘わらず、知ろうとせず、他の要素や偶然も加味されていると思いたがります。心は必死で自分の心を外界に表現しているのに。。。
人々は自分の回りに起こりくる事が、自分の思っている事と違う、自分が考えている事と違う、と言います。聖書はそうじゃないよと言います。
普段思っている以上のことを心は現象化してしまっているとエレミアは言うのです。
「どうしてこんなことが起きてしまうのだろう」
という悩みが現象化してしまう、と聖書は書いています。言っています。
顕在意識の望みと食い違うから、不実だと述べているわけです。
でも、現象化しているモノこそが、どこかで本当の心が必死で感情を込めて描き出しているものなのです。
悩み、恨み、そねみ、妬み、憂い、悲しみ、それら全て、自分自身を含めて身の回りに現象化します。
そういう状態へと導いて行くのは、心で、既にそういう状態を作り出しているからですよと書いています。
仏教の唯識論は、そのまま教えとして存在しています。
あなたの周り = それはあなたの心だと。
ネイタル(誕生の)チャート(ホロスコープ)を作れば、そこにはネイタルが生まれた瞬間に持っていたネイタル自身の心を示すことになります。気象も温度も周りにいた人も、その人を示すのですが、それを客観的に印す方法を現在の人類は持っていません。唯一客観的な時間と惑星の位置を利用できます。それが、占星術です。
ネイタルチャートは、その人の心が、前世を通じてもたらした象現であるとします。それを読み解いていくのです。これを始めて呼吸をした瞬間に求めるわけです。
唯物論であるなら、魂が生まれた瞬間、受胎の瞬間を求めることでしょう。
ホラリー占星術(時間に基づいて判断する)のチャートでも同じです。質問が生まれた(占星家という助産婦によって)という質問にとっての誕生チャートと考えるわけです。それは、正に心が産み出したものです。
「質問者自身が質問したときではないのか?」
これも、もっともな考え方です。しかし、質問者は質問を断続的に考えていて、いつ自分が自分の質問を発したか覚えていません。質問が身籠もっている状態と捉えることができます。産ませる介添え者が要ります。クライアントが思い立って占星術師の元へ赴き、占星術師とコ ミュニケーションをすることで、それで質問が特定の時間と場所で生まれるわけです。
諸現象が時間を決定できる心による象現でない限り、占星術は成り立たないことになります。それが占星術の定理のようなものです。時間の決定権は、不思議にも全ての魂に内包されているというわけですから。
惑星を使いこなすという考え方がありますが、上記の考え方に基づけば、人は心が使いこなせるだけで、特に惑星を持ちだす必要はありません。
唯物論的な考え方では、惑星が現象を動かしてくれるので、惑星に頼ることができるかもしれません。でも、そういう事は無いでしょう。現象を動かすのは心の方です。心があなたの主のはずです。惑星の影響力を使いこなすことはできません。惑星の形作る良い時間を選ぶという考え方は可能です。。。
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